極東のアステリズム
Isochka(いさちか)です。
この記事は天文系同人サークルEinstein's Crossさんの企画Astro Advent Calendar2021の一環として書いたものです。天文ド素人が書いたものなので、あまり期待せず気楽に読んでください(予防線)。
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現代の天文学で「星座」と呼ばれるものは88個ある。1922年に国際天文学連合総会で採択されたものだ。正確に言うと1922年時点では星座を88個とすることとその名称が決まったにすぎず、星座の境界が決まったのは1928年。
…ん?星座の"境界"?
実は天文学において、「星座(英: constellation)」とは星々を結んだ図形のことではない。天球を分割した88の「領域」だ。この領域それぞれに名前があるおかげで、天体の(天球上の)位置を「アンドロメダ座の銀河」とか「はくちょう座のブラックホール」とか表現できるのだ。
一般にイメージされる"星座"——星々を結び、色々な形に見立てたもの——は、前述の星座と区別して「アステリズム(英: asterism)」と呼ばれる。歴史を通じて、様々な国・地域の人間が様々に星を結び、アステリズムを見出してきた。星を結んで人や動物や物の姿を連想したものも、「夏の大三角形」とか「冬の大六角形」とかもアステリズムだ。
これらのうち、西洋の88星座にまつわるものや、明るい星を結んでできる図形はよく星空図鑑でも見かけるが、東洋のアステリズムについてはなかなか知る機会が少ない。前置きが長くなってしまったが、この記事では中国と日本のアステリズムを少しだけ紹介する。
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①中国
古代中国では、北極星を天帝とみなした。アステリズムは星官と呼ばれ、天帝から遠ざかる=南に下るにつれ地位の低い星官が並ぶ。北極星付近には皇族がいたりする一方で、西洋で言ううさぎ座付近には厠の星官があるほどだ。そこまで作る?
このため、西洋のアステリズムのように「星の並びの形から直接連想されたもの」というより「配置ありきで設定されたもの」が多い印象だ。中国のアステリズムを見ても正直「この並びをあれに見立てたのか!」という感動は少ないかもしれない(主観)。
中国では、天球を三垣二十八宿の31の領域に分けていた。三垣はおおむね天の北極に近い部分とその東西の3領域で、文字通り垣(城壁)のような長いアステリズムで区切られている。二十八宿は、天球上での月の通り道を区切った28の領域(星宿)を指し、それぞれには基準となった28の星官がある。
二十八宿は4つの方角の七宿ずつに分けられ、それぞれに四神があてがわれた。東方青龍、北方玄武、西方白虎、南方朱雀の、あの四神だ。
七宿の星官それぞれについて知るならこちら、全体の並びを掴むにはこちらが分かりやすい(なお後者のサイトでは四方の並びに誤りがあるので注意。正しくは左から順に西、北、東、南)。イメージしやすい例として東方青龍を挙げよう。スピカとアークトゥルスを2本の角とし、アンタレスが赤い心臓、さそり座の尾部がそのまま龍の尾にあたる。個々の星官を見ると何だか分からないが、いくつかまとめて見てやることでイメージが掴める。さながら西洋のアルゴ船に似た構造になっているのだ。
②日本
古代から日本には中国の星官・星宿の概念は入ってきていたようで、奈良県のキトラ古墳や高松塚古墳の壁画にそれらが残されている。
それらとは別に、日本全国で星々の並びに様々な名前がつけられ、親しまれてきた。
例えばさそり座のS字のカーブを、瀬戸内の人々は「うおつりぼし」と呼んだ。もっとも、さそり座を釣り針に見立てるのは日本に限らず世界各地でみられるようだ。
W字形でお馴染みのカシオペヤ座は、日本各地で「やまがたぼし」「いかりぼし(錨星)」と呼ばれた。錨というのは恐らくこの絵のように、北極星も含めて見立てた呼び方であろう。壮大な錨だ。
今の時期夜空でひときわ目を引くオリオン座。あの特徴的な並びを古の日本人は「つづみぼし(鼓星)」と呼んだ。また、白いリゲルと赤いベテルギウスが向かい合うように見えるさまを旗の色に見立て、それぞれの星を「源氏星」「平家星」と呼ぶ地域もあったそうだ。人ではなく軍?陣営?を日本ならではの発想だ。
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極東の星空の旅はいかがだっただろうか。たまには馴染みのオリオンやサソリを思い描くのではなく、古の中国人や日本人の見方で星空を見上げてみるのも良いかもしれない。
参考